Mar 05, 2010

12月の泊まるホテルの予約をした

12月の妹が結婚するように結婚式の会場は、東京ディズニーランド近くのホテルのために結婚式の前日に泊まるホテルの予約をしている。新幹線とホテルが一緒になったパックを発見したが、宿泊してホテルを見つけることができなかったので、最終的に別々にとることホテルの予約をしなければならなかった。第1希望はすでに予約がいっぱいだったので第二希望のホテルに留まるようにした。
名古屋といえば、ヒルトン観光ホテルウェスティンの重鎮と言った感じでしたが、マリオットの登場で少し雰囲気が変わったような気がするなど。名古屋のホテルは、旅行ではあまり使用されない。そこでどのようにお客さんが、日常生活から抜け出した気分が味わえるホテルが4軒のホテルがどのように戦っていくのか見物です。そして名古屋といえば、"結婚式"。様々なアイデアで顧客を含むかどうか関心だ。
 福島第1原子力発電所事故の影響で農畜産物から食品衛生法の暫定基準値を超える放射性物質が検出されている問題で、厚生労働省は23日未明、35品目を緊急時モニタリング調査した結果、福島県の各地で採れたブロッコリー、小松菜、キャベツなど21品目で基準値を超える放射性ヨウ素が、25品目で基準値を超える放射性セシウムが検出されたと発表した。

 また、茨城県の水戸市、河内町の原乳、鉾田市のパセリからも基準値を超える放射性ヨウ素が検出された。

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 東日本巨大地震による死者・行方不明者が2400人を超える岩手県陸前高田市で、被災しながらも避難所に行かず、住み慣れた土地にとどまり続ける人たちがいる。

 余震の恐怖におびえながら、住民同士が助け合っての自給自足生活。「慣れ親しんだ土地を離れられない。息子をこの土地で弔ってやりたい」。津波で息子を亡くした父親は、がれきで作った位牌(いはい)に向かい、そう語った。

 気仙川河口付近にある気仙町荒町地区。集落全体が津波にのみ込まれた同地区の高台で、農林業、佐藤直志さん(77)は、妻テル子さん(72)とともに、2階まで水に浸った木造の自宅で暮らす。1階は泥にまみれ、家具が散乱し、足の踏み場もない。2階の床も湿っており、ビールケースの上に板と布団を敷いた「即席ベッド」で凍えながら眠る。

 電気はなく、ブロックで作ったかまどでがれきを割った薪(まき)を燃やして自炊。夜は、わずかな灯油でともすランプが唯一の明かりだ。

 津波発生時、同居していた長男で消防団員の昇一さん(47)は、住民を避難させるため海の方に向かった。そのまま行方不明に。6日たった17日、家の近くのがれきの中から遺体で見つかった。

 「消防団員として責任をもって行動したのだと思う。見つけてやることができて良かった」。佐藤さんはがれきで作った位牌に朝晩、お茶を供え、手を合わせる。

 8キロ先の避難所には、暖房も食料もある。だが、佐藤さんは、先祖代々生きてきた土地を離れるつもりはないという。

 66世帯が暮らしていたこの集落では、多くの家が倒壊・浸水し、死者・行方不明者は10人を超える。「地区の人は家族と同じ。息子と同じように、ここで発見を待ちたいんです」

 近くの金剛寺では、家を失った10〜70歳代の約10人が集まり、共同生活を送る。最年長の鈴木昇さん(79)は「がれきの下で親しい仲間が助けを待っていると思うと……。誰かがそばにいてやらないと」と、涙をこぼした。

 陸前高田市の広報担当者は、市が設けた避難所以外の場所で避難生活を送る被災者について「すべては把握できていない」といい、「今後も津波や地盤崩落の恐れはあり、身の安全や健康を考えると避難所に入ってもらうのが望ましい。だが、土地への愛着や大切な人の帰りを待ちたいという被災者の心情もあり、無理強いはできない」と頭を悩ませている。(森田啓文、日比野健吾)

 東日本巨大地震の大津波で全壊した岩手県陸前高田市の県立高田病院のスタッフが、1台の衛星電話を手に、市内の別の場所に設けた仮設診療所で被災者の診療を続ける。

 「横沢伝声器」とスタッフが呼ぶこの衛星電話は、今月末で定年退職する予定だった病院事務局長の横沢茂さん(60)が、命をかけて津波から守った。有線電話や携帯電話の不通が続く中、薬品調達や救急患者の情報収集の〈命綱〉となっている。

 11日の地震発生直後、鉄骨4階建ての病院は入院患者や医師のほか、避難してきた住民ら100人以上であふれていた。「大きな津波が来るぞ」。数分後、あちこちで声が上がった。

 3階にいた事務員の冨岡要さん(49)は窓の外を見た。10メートルを超える大きな津波が迫っていた。1階事務室まで階段を駆け下りると、横沢さんが窓際に設置されていた衛星電話を取り外そうとしていた。通信衛星を介して通話する衛星電話は、地上の施設が壊滅すると使えなくなる携帯電話や固定電話と比べ、災害時に強い。

 「津波が来ます。早く逃げて下さい」。冨岡さんは大声で伝えた。横沢さんは「これを持って行かなければダメだ」と叫んだ。冨岡さんは駆け寄り、横沢さんから衛星電話を受け取って、屋上まで駆け上がった。病院が4階まで津波にのみ込まれたのは、その直後。横沢さんは行方不明になった。

 衛星電話は11日こそ起動しなかったが、屋上からヘリコプターで救助されたスタッフらが13日に再び試すと、回線がつながった。

 衛星電話で薬品や医療機器の融通を他の病院や業者に依頼。体制を整えた病院は震災4日後の15日、同市米崎町のコミュニティーセンターに診療所を仮設し、医療活動を再開した。22日も衛星電話が避難所の急患情報を得る唯一の手段だ。

 診療再開後は、毎日約150人以上が訪れる。高血圧や糖尿病の患者、地震のショックで眠れないと訴える人など様々だ。地震前から高血圧で通院していた菊池利義夫さん(83)は「こんな状況でも、きちんと薬を出してもらえる。本当にありがたい」と話す。

 横沢さんの遺体は21日、遺体安置所を捜し歩いていた妻の澄子さん(60)と長男の淳司さん(32)らが確認。22日、同県紫波町の自宅に帰った。横沢さんは県の病院事務職員として単身赴任で県内を巡り、2年前から高田病院事務局長になった。同僚たちは「患者の目線に立った柔らかい語り口で好かれていた」と口をそろえる。

 遺体と対面した澄子さんは、「お父さん、ご苦労さま」と心の中で語りかけながら、右耳についた砂を手でそっと払った。「患者のために忙しく、自宅への連絡まで気が回らないのでは」という祈りはかなわなかった。だが、今はこう思う。「皆さんのために役だったのは本当に良かった。本人も家に戻ってこられて、安心したでしょう」

 衛星電話には「事務局長さんが天国で手伝いしています」と書かれた紙が張られている。(天野雄介)

Posted at 13:19 in Earthquake | WriteBacks (0) | Edit
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